お知らせ

養父駅開業100周年

養父駅と八鹿駅は明治41年7月1日に開業し、平成20年の7月1日で100周年を迎えました。江原駅と豊岡駅も翌年7月に開業し但馬から徒歩で神戸や大阪に人が移動する時代が終わりました。
 養父駅の駅舎は、平屋建ての寄棟造りで、正面右側と右側側面に庇があり、当時は高級品であったガラスの窓を多く利用しました。入口のプレートには「建物財産標・駅本屋・明治41年3月」の文字が確認できます。待合所の切符を買う窓口、受付台、壁の表面を飾る張り板などは、いずれも開業当時のままです。
養父駅は鉄道ファンの間でも有名なレトロな姿を残す駅です。
 養父駅の貨物の取扱量は、管理局内で第5位になる駅でした。当時は、養父市場の牛市で買われた子牛が、一度に貨車50台に積み込まれました。また、日曹鉱業株式会社は、加保鉱山の鉱石を運搬する専用貨物ホームを昭和15年に建設し、山中鉱山、明延鉱山、十二所鉱山などの鉱石も積み込まれました。さらに、養父郡で生産された木炭の出荷基地にもなりました。
 養父駅の建設には秘話があります。第1は、養父駅は養父市場の大薮橋南側に計画されましたが、用地確保が実現できずに堀畑に移転しました。しかし、養父駅の名称は残されました。第2は円山川の洪水対策を考えて、水田から役約3メートルも高く土を盛り上げました。第3は養父駅を建設するために堀畑の御所森神社を明治40年に移転しました。第4は、養父駅から大屋を通って若杉峠、戸倉峠から鳥取駅に至るルートが検討されたことです。
 養父駅と八鹿駅は国営鉄道として建設され、私たちの身近な交通機関として100年間も利用されています。

 (出典元:市広報やぶ 2008年7月 第52号)

養父駅から見た森医院